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【報告】シンポジウム「まちの記憶を育てる —宮城県美術館が紡いできたもの」





2020年9月19日(土)に、せんだいメディアテーク(仙台市)を会場に開催されたシンポジウム「まちの記憶を育てる —宮城県美術館が紡いできたもの」について報告します


イベント告知ページ


 

 



 「宮城県美術館の現地存続を求める県民ネットワーク」を立ち上げて、2ヶ月。

会員になってくださる方が日に日に増えてくる中、会にとっては初めての大きなシンポジウムを開催しました。会場のせんだいメディアテーク1階は早々と予約でいっぱいとなり、急遽7階にも配信映像を視聴するための部屋を借りる対応に追われ、多くの県民が宮城県美術館の移転問題について、その動向を注視しているのを強く感じました。

 登壇者になってくださった顧問の画家の佐藤一郎さん、建築家の大宇根弘司さん、作家の森まゆみさんの話は別にとりまとめ、当日の板書も公開しました。くわしくはそちらをご覧ください。(本記事最後に掲載。全文文字起こしは後日アップします)

 受け止めたものはそれぞれ異なると思いますが、私の印象に残ったお話をあげてみると、佐藤一郎さんの話では「美術館はヨーロッパの街の教会のようなもの」というひと言。永続的な存在として都市の歴史的な時間を象徴するということなのだろうと思います。私たちそれぞれが記憶を重ねていける場所であるということですね。


 大宇根弘司さんとは何度かいっしょに美術館を歩いてお話を聞く機会がありましたが、タイル一枚にこだわって、つまりは細部を考え抜いて建物をつくりあげていくものづくりの真髄がそこにあって感嘆しています。じぶんの表現を押し付ける建築家ではなくて、使う側といっしょになってよりよい建物を練り上げていく建築家。大宇根さんのような建築家が増えたら、使う側はどんなに気持ちよくそこで大事な時間を過ごせることか。宮城県美術館はそうやって生まれた稀有な建物なんだと、話を聞くたびに思います。


 そして、森まゆみさん。「(建物の)有事に備えて平時から準備しておくことが大事」ということはずいぶん前に教えてもらいました。私はこれまで3回、歴史的建造物の保存活動をして連敗を重ね、このことばを痛いほど思い知らされてきました。でも、今回は失敗の中で持続してきた人のネットワークが生きました。上野の不忍池が富国強兵の時代に馬場に開発されそうになったとき、内務省が「風月権」を主張して押しとどめたという話には驚きました。私たちが、宮城県美のあの空間を享受し続けたいと願うのは、いったい「何権」になるのでしょう。


 参加してくださった方たちが、登壇者にたくさんの質問を寄せ、また長文のメッセージを書いてくれたことにも感激しています。正直、これまではシンポジウムが何をもたらしてくれるのか疑問を感じることもあったのですが、今回は違いました。一つの問題について考え、発言したいと思っている人たちが集い、顔を合わせ、いっしょに先達の話を聞く。そして考えを深めて言葉を発してくれる。それを私たちは多くの人たちに発信しなければ、と考えます。この循環が運動なんだ!と気づきました。

時間はないけれど、さらにもっと大きな循環をつくりださなければ。ともに頑張りましょう!

シンポジウムはYouTubeで視聴できます。来場できなかったという方におすすめください。(西大立目 記)



YouTubeはこちら



 



【開会の挨拶+活動報告】


 まず、石川善美共同代表より開会の挨拶が行われました。連日のように地元紙・河北新報に宮城県美術館に関するさまざまな投書があることに触れながら、「街の将来像を街に暮らす者たちが語り合うのは当たり前のことであり、まさに対話が始まろうとしている」と昨今の機運の高まりを述べました。






 続いて、西大立目祥子共同代表より宮城県美ネットの活動報告が行われ、9月19日時点で事務局の想定を大幅に上回る1,150名の方々に会員登録をいただいたことが発表されました。そして、その中には彫刻家の佐藤忠良氏のご家族もいらっしゃり、ご長男の佐藤達郎氏、ご長女の佐藤オリエ氏より明確な「現地存続支持」の意向が伝えられたことが報告されました。

 また、毎週土曜日に開催している宮城県美術館撮影会で新しいつながりが生まれていること、「仙台だけの問題ではなく、宮城県の問題として捉えていこう」と始めた出前講座では、地元選出の県議会議員の方々も「地元の声を聴きたい」と熱心に参加していることが報告されました。出前講座は今後も各地で開催予定です。出前講座によって聞こえてきた各地からの県民の声を、会としてもしっかり行政に届けていきたいと考えています。




【顧問に聞く①佐藤一郎氏(聞き手:西大立目祥子共同代表)】


 宮城県大崎市の出身で、大学進学までは宮城県美術館の対岸エリアである中島丁(仙台市青葉区)で過ごしたという佐藤氏は、思い出の場所として、三居沢の水力発電所のそばにある荒々しい滝、そして対照的な広瀬川の穏やかな川原といった、宮城県美を囲むありのままの自然環境を挙げられました。東京藝術大学に進学し、卒業後はハンブルグ美術大学に留学した佐藤氏にとって、帰国したタイミングで開館したのが宮城県美術館(1981年)であり、作品の展示や収蔵の実績があるだけでなく、地元にある美術館として「いつもの作品に出会える大事な場所であり、自分を見つめなおす時間をくれる場所」であると語られました。それは、ヨーロッパにおける教会のように「祈りを捧げる場所」のような身近であり厳かな存在であるとのことでした。



今回の宮城県美術館の移転問題に関しては、「宮城県の考え方が分からない」とし、「時代が変わっても〈そこに在り続けること〉によって、歴史をつないでいく役割が建物にはある」と述べられました。そうした街の記憶を背負った建物を守り継いでいくことが、今を生きる私たちの役目でもあるのではないかというメッセージをいただきました。






【顧問に聞く②大宇根弘司氏(聞き手:高橋直子事務局次長)】



大宇根氏は宮城県美術館について、前川國男氏のこだわりである「日本らしさのあるコンクリート建築」と「タイルによる表情の創出」が活かされている建築であるとし、周辺環境と当時の技術を融合させた省エネ型の建物でもあることからも、適切な維持管理がなされることでまだまだ使える建物であることを強調しました。そして、日本ではコンクリートでつくられたモダニズム建築が適切な維持管理がなされないまま汚れてしまうことで「古い」と判断されて解体されてしまうことを指摘し、海外ではコンクリートのメンテナンスを短期で実施することで見た目も維持されていることを挙げました。



宮城県美術館の移転問題については、「行政が指摘する〈老朽化〉とは何を指しているのかが分からない」とし、「古いから壊す」という発想からの転換を求めました。また、「前川作品だから残すのではない」ことを強調し、「シンプルな街は魅力的ではない」としたアメリカのジャーナリストであるジェイン・ジェイコブズの言葉を引用しながら、「さまざまな要素があってこそ、街は面白くなる。新しい建物だけでなく、街の文脈を背負った建物も佇んだ都市空間の中での多様な人々との交流が次なる文化や活動を生み出していくのではないか」と指摘しました。





【顧問に聞く③森まゆみ氏(聞き手:森一郎事務局次長)】



西大立目共同代表とともに仙台の街並み保存活動に取り組んだこともある森氏は、仙台にも何度も訪れており、「宮城県美術館を失うことは〈恥〉である。そういう認識を暮らしている方々には持ってほしい」と呼びかけました。また、仙台ほどの都市規模の住民が保存活動を頑張ることで、弘前市や熊本市、新潟市といった前川國男作品を有するほかの街の住民も勇気づけられるだろうと語られました。

東京在住の森氏は、特にオリンピックが決定してからの東京の街並みの激変ぶりに嘆息しつつ、「市民が声を上げていくしかない」として建物の保存活動を幾度となく展開しており、その経験から「危機に晒されてから騒ぐのではなく、平時の活動がとても重要である」「街にとっていかに重要な建物であるかを、住民の声から紡ぎだしていくことが大事」と述べました。


宮城県美術館の現地存続の活動については「大いに期待しています」とエールをいただきました。そして、保存の先にある「ちゃんと使うことも意識して活動すること」の重要性についても指摘していただきました。





【ディスカッション(進行:野家啓一共同代表)】


 後半は、会場から寄せられた質問にゲストが応えていく形で進みました。

 「今回の問題を教育の現場でどう捉えていったらいいか。公に語ろうとすると『政治的だ』と思われてしまう」という質問については、佐藤氏が「気にする必要のないこと。むしろ、個々の対話の中でしっかりと深めていきたい話題であり、議論を尽くしたい」と答えました。


建物の老朽化の捉え方については、大宇根氏が「メンテナンスを適切に行えば直面しない課題である」ことを伝え、「昨今は、公共建築において『建物を守る』という視点が欠如し、新築も維持管理も費用だけで語られるようになってしまったことが非常に嘆かわしい」と語られました。また、宮城県美術館設計時のチーフである大宇根氏にとって「思い入れのある空間は?」という質問には「すべて」との回答でした。


数多くの建築保存活動に関わる森氏には「こうした問題に市民の価値観で戦うにはどうしたらいいか」という質問があり、①市民の仲間をつくること、②メディアを味方につけること、③「参加したい」という気持ちを役割につなげていくこと、④現場に来られない人も参加できる仕組みをつくることを挙げていただきました。





最後に、「宮城県美術館に必要なこと」を三氏に質問したところ、「多様な美術を鑑賞・体験できる場になってほしい。そしてそれは、県美だけで解決できることではない」(佐藤氏)、「空間の維持管理についても、現場の学芸員が責任をもって発言できるような仕組みづくりが必要」(大宇根氏)、「現在の県美はとても豊かな場所になっているので、〈この場が紡いできたもの〉をもっと評価するべきである。もっと県民によって、この場が内包する歴史・文化・記憶が語られるようになってほしい」(森氏)との意見をいただきました。




【移転問題の論点整理+閉会の挨拶】



大沼正寛事務局長より、宮城県美術館の移転問題に関する論点が下記の通り提示されました。


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①コロナ禍においても、従来踏襲型の三密のホール建設は妥当なのだろうか。


②県が実施している移転のメリット・デメリット比較において、比較対象として「リニューアル案」を持ち出すことは妥当なのだろうか。


③県民会館新築においては2,300席程度の大ホール設置が予定されており、公共施設再編方針とは異なる計画となっていないだろうか。


④ ③の実現によって、集約した場合の美術館の面積は明らかに縮小する。減床によって研究や教育の機能まで弱まるのではないか。


⑤建築や周辺環境と一体化した収蔵作品はどうなるのか。


⑥移転先には長町-利府断層が通っているが、将来的に美術作品が借用できない可能性があるのではないか。


⑦県民との対話なしに進められる「スクラップ&ビルド」は正しいやり方だろうか。


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集約移転案によって県民の税金負担は増大するにも関わらず、数字を示さない宮城県の姿勢にも疑問が投げかけられました。大沼事務局長より、今後はこうした論点を共有しながら関心の輪を広げ、方向性を決める行政や議会に「現地存続!」がきちんと伝わる状況をボトムアップでつくっていきたいという抱負が述べられました。




 最後に、早坂貞彦共同代表より閉会の挨拶がありました。宮城県美術館設置当時の知事である山本壮一郎氏が「県民がちゃんと県美を使うことで、宮城県の芸術文化を盛り上げていこう」と語ったエピソードが披露され、「設置のために宮城県の美術家たちは尽力したし、できてからも活用してきた。県美は〈みんなでつくってきた〉という自負がある」と語りました。

 また、宮城県美術館の現地存続活動が県内外から会員が集まってきている状況を踏まえ、「これまでにない文化活動である」とし、今後も一人一人の力を集めて「現地存続」の声を上げ続けていこうと所信表明がなされました。




会場では、問題点やこれまでの活動をまとめたプリントやメッセージの展示も行いました



(写真:越後谷出)


 

シンポジウムでは、会議の進行を板書として書き留めておきました。

議事を追うことができますので、ご覧ください。(全8枚)












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