宮城県美術館の現地存続への思いや課題を共有するための出前講座。第7弾は丸森町!
舘矢間まちづくりセンター・大集会室を会場に開催しました。
はじめに、会場に駆けつけてくださった丸森町教育長の佐藤純子さんよりご挨拶があり、「子どもたちの豊かな情操をどう育んでいくかが、今後の社会においてとても重要。その点でも、宮城県美術館の位置づけを議論することはとても大切」というお話をいただきました。
続いて、大沼正寛事務局長より、今回の宮城県美術館を含めた県有施設3施設(県民会館、NPOプラザ)の集約移転問題についての概要説明がありました。
「公共施設の集約化」は全国的に推進されているものの、果たして1981年竣工の宮城県美術館は対象になるべきなのか、本当に「老朽化」しているのか、2018年3月に宮城県より発表された「宮城県美術館リニューアル基本方針」はどうなるのか等、問題点を考える上での視点が提示されました。
*詳しく知りたい方は、宮城県美ネットで制作した『宮城県美術館と移転問題を知るハンドブック』をご覧ください。
宮城県美術館で副館長を務められた学芸員の三上満良さんより、「美術館の役割」についてお話がありました。
三上さんから、「博物館には過去と未来をつなぐ架け橋の役割があり、こと美術館においては、私たちは美術作品に触れることで、その時代に生きた人々の証を汲み取ることができる」とした上で、三上さんも設立に関わったという「佐藤忠良記念館」(宮城県美術館併設)のエピソードが語られました。
佐藤忠良記念館は、佐藤忠良氏の彫刻作品や石膏原型を収蔵・展示している、宮城県美術館に併設されている美術館です。
今回の出前講座開催地の丸森町は、忠良氏の父の故郷であり、幼少期を過ごした特別な場所でもあります。(大和町は教員だった父の赴任先で、忠良氏はそこで生まれた)
三上さんは忠良氏の元に何度も通い、「どうしたら佐藤忠良の作品を良い形で残すことができるか」という点について話し合いを重ねたそうです。宮城県から「石膏原型の保管」「屋外彫刻のメンテナンス」「永続的な作品管理」等を記念館設立の条件として忠良氏に提示し、当初は記念館の設立に積極的ではなかった忠良氏も、最終的には納得して作品を寄贈したということでした。これらを踏まえると、安全な場所での作品保管や、屋外の彫刻作品を室内の作品とともに楽しめる記念館の空間設計は必然であり、現在の場所からの移転は、記念館設立に込められた作家の無視することになるのではないか、という問いかけがなされました。ダニ・カラヴァン氏や新宮晋氏ら宮城県美術館にゆかりのある作家たちからも現地存続を望む声が上がっている中で、こうした声を聞かない姿勢は美術館の在り方を問われかねない事態である、というお話もありました。
会場からの質問では、宮城県美術館の特徴の一つでもある「創作室」について、例えば移転したとしても機能は保持されるのだろうか、という質問がありました。それに対して三上さんは、「現在の宮城県美は、展示室と創作室の間に中庭があるため、創作室で大きな音を出したり粉塵が舞うような作業をしても展示室への影響はないが、移転候補地においては、3施設の合計面積よりも減床することが条件となるため、現状のようなゆとりのある空間構成が可能かどうかは疑問」という回答でした。
また、「宮城県美のリニューアル基本方針が出されたのに、移転案が浮上することに疑問を感じる。芸術文化を軽んじていると感じてしまう」という意見や、「子どもの頃に創作室のワークショップがとても楽しかった。多様性を育む場として、現在の宮城県美の在り方はとても大事だと思う」という意見をいただきました。
佐藤教育長からは、今回の講座に参加して「移転によって失われるものの大きさを痛感した」という感想をいただき、かつて忠良氏に「年齢関係なく、本物を見ることで、美術を見る目が育っていく」という話を聞いたとして、「宮城県美術館はいつまでも本物に触れられる美術館であってほしい」というお話がありました。
最後に大沼事務局長より、「宮城県美は、当時の宮城県芸術協会が設立を求める声を上げたことがきっかけとなったボトムアップ型の美術館である。今回の移転問題も、同じようにボトムアップ型で県民の声を集めて行政に届けつつ、現在は閉ざされている対話の場をつくっていきたい」というお話がありました。
今回も、会場からたくさんの意見とエールをいただき、あっという間の2時間でした。ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました!
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