今回は、宮城県美術館を建築設計した前川國男さんを紹介します。
宮城県美術館本館は1981年に竣工し、前川國男建築設計事務所の設計で建てられました(佐藤忠良記念館は1990年に前川國男設計事務所出身の大宇根弘司さんが設計されました)。
宮城県美術館本館を設計したのは、戦後の日本建築界を代表する建築家の前川國男さんです。 日本の建築史に大きな足跡を残した建築家が晩年に手掛けたのが、宮城県美術館です。
日本を代表する建築家に至った経緯、宮城県美術館の特徴、前川さんのお人柄がうかがえるエピソードもご案内します。
宮城県美術館は1981年に竣工し、前川國男建築設計事務所の設計で建てられました。
建築家前川國男さんは、日本の初期のモダニズム建築(石や煉瓦ではなく、鉄、ガラス、コンクリートなどを使って機能的、合理的な造形理念に基づく建築様式。)をリードした建築家の一人です。
ル・コルビュジエ(モダニズム建築の巨匠。日本で唯一の建築作品は上野の国立西洋美術館で世界遺産に登録されている。)の元で学び、その後アントニン・レーモンド(帝国ホテル、聖路加国際病院、東京女子大学礼拝堂の設計に関わる。)の事務所を経て独立しました。
日本の近代建築を語る上で最も重要な建築家といってよいでしょう。
前川さんがコルビュジエに習ったことの一つに「建築の散歩道(プロムナード)」という考え方があります。
宮城県美術館の建物入り口まで続くピロティ(壁がなく柱だけで構成された吹き放ちの空間のこと)は行きはワクワクさせてくれるし、帰りは余韻に浸ることができます。
タイルを利用した中庭などの広い空間は、他県の施設でも多く見られます。(世田谷区役所・区民会館中庭、埼玉会館と会議棟など)
利用者のために作るという考え方が一貫していて、写真写りのいい建物を作ることに重点を置いていなかったと言われています。
前川さんは食べるのが好きだったので「一番良い場所にレストランを作った」と松隈洋先生(京都工芸繊維大学教授。前川國男建築設計事務所に入所し、前川國男に関する著書多数。)がシンポジウムで話していました。
宮城県美術館のレストランも、大きな窓ごしに中庭を眺められるいい場所にありますね。
また、戦時下で仕事が少なくなったレーモンド事務所を退所の際には仲間4人を連れて自宅に事務所を持ちます。
そして仕事に集中するためにお子さんを作らなかったという厳しさをお持ちの反面、事務所の人たちを自宅に招いて奥様の手料理を振る舞ったことも多かったそうです。
このエピソードから、前川さんは人に囲まれ、人の集まる空間を考え続けていた方なのだろうと想像できます。
前川さんの建築は公共建築が多く、公開されているものが多いのでぜひいろいろ見てほしいと思います。
東北では青森県弘前市に多数建築されています。弘前コンベンション協会のサイトに詳しく掲載されています。
数々の受賞をし、最後まで近代建築普及に尽力しました。
1905年新潟生まれ
1928年卒業した日にシペリア鉄道に乗ってパリのル・コルビュジエのアトリエに入門
1968年第一回日本建築学会賞大賞受賞
1981年宮城県美術館 竣工 1986年死去 享年81歳
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